5月28日土曜日、博多区某所で、研究会が開催されました。二本の研究発表が行われました。一つめは、マフノ運動の紹介です。20世紀初頭にロシア革命の最中、アナキズムの旗を掲げて、立ち上がった武力闘争がウクライナのグリャポーレを中心にありました。マフノ運動です。マフノらは、当時のグリャイポーレのソヴィエト(もちろん、ボリシェヴィキによって換骨奪胎されてしまったものではない)を拠点に、職人の組合・教育運動(学校建設)・武力闘争を行いました。組合は自主管理を基盤にそれぞれの職工(グリャイポーレの多くは農民)が生活の作り出していき、学校建設はフェレルの自由主義学校の理念を基盤に、教職員・学生らの自立学校による教育運動が展開され、武力闘争では、大河ドラマにもなるほどの華やかな(?)闘争の記録が残っています。時の大杉栄が長男にネストル(マフノのファーストネーム)とつけてしまうくらい、魅力的なマフノの一生を追うことで、ウクライナで花火のように打ち上がった運動の軌跡を確認しました。

二つ目は、インドのフェミニズム運動についてです。インドからの留学生による発表で、とりわけガンジーの独立運動とそれに付随する(離反する)フェミニズム運動の近現代史でした。ガンジーのインド独立運動の華やかさとは裏腹に、その功罪も確認され、とりわけその中の女性の地位に関する扱いを明らかにしていただきました。もちろん、ガンジーの非暴力闘争の持つ、本来の暴力性(酒屋で酒を万引きしまくって、叩き割ることや、塩の行進など)の可能性も確認しました。ちなみに、万引き運動は女性が、塩の行進は男性がそれぞれ役割を担っていたそうです。とはいえ、ガンジーの女性蔑視の考え方は(彼は蔑視をしていないと言っているにもかかわらず)、極めて残念な思考態度であることは事実です。現在もなお、インドにおける女性の地位が極めて無下に扱われてしまうことを考えると、習俗も含めて一筋縄ではいかない問題であると思われます。無論、インドという領域の大きさを考慮するならば、多民族「国家」であり、宗教的な背景も含めて、極めて複雑な問いでもあります。しかしながら、インドで今、フェミニズムを考えるとは一体どういうことか、という問題系も含めて、極めて有益な発表でした。

最後に、必殺仕置人をみんなで鑑賞して、元締めのいない、合議制による集団のあり方に思いを馳せました。

 

6月、8月は福岡で開催される関連イベントも紹介できるかと思います。