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3月9日、博多区某所、谷川雁『賢治初期童話考』(潮出版)の読書会を開催致しました。「社会全体がどんなに暗くなっても、おとなとこどもが遊ぶ余地はある。これが現世を現世たらしめる最後の一線である。そして賢治の天才の真の資質は、モーツァルトとまさしく同質の、遊戯性にあったのだ。村がどうなろうと、おれたち自然の妖異がいるかぎり、この世の奥のあるものがいくらでも湧いてくるぜと言わんばかりにざわめく風を知っていたのである。この意味において、賢治初期童話はまさに〈村の噴出〉そのものであった。あとから見れば、それは〈最後の村〉であった」。この文言に導かれながら、谷川が「村」をどのように考えていたのか、彼の初期から中期、そして後期(と彼の軌跡を腑分けするならば)における「村」概念の位置づけや異同を検討しました。また異質なものの共同体を考える際に、こどもが実は異質なものとして考えることができるか否かもまた検討しました。未だ谷川の問いの射程は幅広く、そして考察に値するものばかりであると当研究会では考え、また時期を見計らって、谷川の著作を繙くことになると思います。

次回は、五月に来福予定の栗原康『学生に賃金を』(新評論)の読書会を行います。賭けたら、それはもう勝利、その勢いに満ちた読書会になることを願いつつ。「はたらかないでたらふく食べたい」。