4月18日某所にて、ハーマンやメイヤスー、シャヴィロやチュインらの新しい唯物論の勉強会と、栗原康『学生に賃金を』(新評論)の読書会を開催致しました。前者の勉強会で、ハーマンとシャヴィロのホワイトヘッド理解に活を入れ、ホワイトヘッド哲学の観点からの応答を検討しました。後者の読書会で、日本学生支援機構のブラックぶりを再確認するとともに、モラトリアムとしての学生や、イタリアでのアウトノミア運動を再確認することで、学生のありうべき姿について議論を交わしました。

5月19日火曜日は、いよいよ、栗原康さんを福岡にお招きしてトークイベントを開催致します。以下が情報です。場所は博多区須崎にある、art space tetraで開催されます。

www.as-tetra.info

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栗原康トーク「はたらかないでたらふくたべたい 「生の負債」からの解放宣言」

日付:2015年5月19日(火曜日)
時間:18:00~
料金:一般¥1000、学生¥500、いずれも1ドリンク付き

 

 

 

 

「はたらかないでたらふくたべたい 「生の負債」からの解放宣言」
 
 ショッピングせざるものひとにあらず。バカバカしいが、じつはみんなこの論理で生きている。ピカピカした商品を身にまとい、自分らしさをアピールする。個性は尊重されなくてはいけない。周囲をみわたし、あたりさわりなくいいね、いいね。快適なコミュニケーションだ。いまじゃ就活でも婚活でも、いつでもそういうことが求められている。

 これ恐ろしいのは、そこからドロップアウトすると、他人からひどくなじられることだ。なんでおまえはショッピングをたのしめないんだ、もしかしておまえはひとじゃないんじゃないのか、クサい、汚い、気持ちわるいと。フリーターニート、ホームレス。ほんとうはカネがないから、なんとか工夫をして生きているだけなのに。ムカつく。

 もう、こんなクソみたいな社会から逃げだしてもいいんじゃないのか。いがいとかんたんにできるんじゃないのか。そろそろ、ちゃんと考えるときがきたのかもしれない。結婚と消費で自己実現? ウソだ! 豚小屋に火を放て。はたらかないで、たらふく食べたい。

共催:西南学院大学 学内GP「<ことばの力>養成講座」

話し手:栗原康(くりはら・やすし)
1979年埼玉県生まれ。東北芸術工科大学非常勤講師。専門はアナキズム研究。著書に『G8 サミット体制とはなにか』(以文社)、『大杉栄伝—永遠のアナキズム』(夜光社)、『学生に賃金を』(新評論)がある。趣味は、ビール、ドラマ観賞、詩 吟。あと、錦糸町の河内音頭が大好きだ。「踊ること野馬のごとく、騒がしきこと山猿に異ならず」。それが人生の目標だ。

聞き手:森元斎(もり・もとなお)
1983年東京生まれ。大学非常勤講師。専門は哲学・思想史。最近のお気に入りの文言は「震動する系のフロンティアになっている」(by谷川雁)、ローリン・ヒルと合コンしたい。

3月9日、博多区某所、谷川雁『賢治初期童話考』(潮出版)の読書会を開催致しました。「社会全体がどんなに暗くなっても、おとなとこどもが遊ぶ余地はある。これが現世を現世たらしめる最後の一線である。そして賢治の天才の真の資質は、モーツァルトとまさしく同質の、遊戯性にあったのだ。村がどうなろうと、おれたち自然の妖異がいるかぎり、この世の奥のあるものがいくらでも湧いてくるぜと言わんばかりにざわめく風を知っていたのである。この意味において、賢治初期童話はまさに〈村の噴出〉そのものであった。あとから見れば、それは〈最後の村〉であった」。この文言に導かれながら、谷川が「村」をどのように考えていたのか、彼の初期から中期、そして後期(と彼の軌跡を腑分けするならば)における「村」概念の位置づけや異同を検討しました。また異質なものの共同体を考える際に、こどもが実は異質なものとして考えることができるか否かもまた検討しました。未だ谷川の問いの射程は幅広く、そして考察に値するものばかりであると当研究会では考え、また時期を見計らって、谷川の著作を繙くことになると思います。

次回は、五月に来福予定の栗原康『学生に賃金を』(新評論)の読書会を行います。賭けたら、それはもう勝利、その勢いに満ちた読書会になることを願いつつ。「はたらかないでたらふく食べたい」。

1/31、博多区某所にて、『鶴見俊輔コレクション1』所収の金子ふみ子、ホワイトヘッド論を媒介に、「生きたアナキズム」やホワイトヘッドの哲学、ひいては、ホワイトヘッドの形而上学ベルクソン生の哲学、そしてベルクソンから大きな影響を受けた大杉栄の知性批判について、検討を加えました。ホワイトヘッドの「哲学の創造」という観点が、具体性に根付いた仕方で知恵を創発して行くさまと、ベルクソン=大杉の知性批判かつ知恵の鋳直しの議論との親近性、はたまたホワイトヘッドの図式から捉えられる金子の文言との鶴見による接続など、議論は縦横に展開されました。

今年の予定としては、谷川雁の著作を読解する事、怪奇小説におけるアナキズム(!)や、バタイユの思想についての勉強会、それと昨年実現しなかった、栗原康氏招聘や、ド評、ブックジョッキーなどイベントを企画して行く予定です。

12月30日、博多区某所で中国文芸研究会と共催で、初期マルクスの文献を読解しました。「ユダヤ人問題について」「ヘーゲル法哲学批判序説」「経済学・哲学草稿」「ドイツ・イデオロギー」の一部をみなで一瞥し、喧々諤々の議論を行いました。とりわけ、人間の完全な喪失であるがゆえに、人間の再獲得すべしという観点や、自然主義の観点から、今年一年の労働の垢を落とすような話にもなりました。なかなか垢はこびりついて洗い流すことはできませんが、この研究会の今年のはじまりとおわりに中国文芸研究会のみなさまとご一緒できたことは、私たちにとっても「人間の再獲得」の一歩を踏み出せているような気がしてなりません。来年も引き続きさまざまな文献読解やイベントを通じてアナキズムの知見を深めて行きたいと思います。

11月15日に、広島の某所にて、中国文芸研究会と九州アナキズム研究会の合同研究会が開催されました。

森元斎氏による「払いのけつつ、取り入れる「村」について」というタイトルで発表がなされました。谷川雁石牟礼道子における「村」や「原点」に焦点が絞られて、「水銀以前の水俣」にかんする議論とともに、氏の専門でもあるホワイトヘッドの「抱握」概念を手がかりに両者の思考を読み解くとてもスリリングな発表でした。

払いのけるべき「村」と、取り入れるべき「村」にいくつも話題はつきず、議論が活発に行われました。

次回は、福岡は博多区某所にて、年末に初期マルクスの文献の読書会を行う予定です。

10月11日、西南学院大学にて、柿木氏の『ベンヤミンの言語哲学ーー翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社)合評会に九州アナキズム研究会から参加しました。中国文芸研究会からの参加もあり、喧々諤々の議論に展開。ベンヤミンの極めて射程の広い言語観から歴史哲学まで縦横に話が盛り上がりました。

12日は博多区某所にて、裏合評会と題して、九州アナキズム研究会、中国文芸研究会の面々でこの本を題材にベンヤミンのアクチュアリティに焦点を絞りつつ、ご本人をお招きして、前日に議論したかった話等、話題つきること無く、有名な「政治の美学化」や「アレゴリー」などの観点から、現在の諸々の悪しき状況を照らし出す手がかりにもなりうる議論にも発展し、ベンヤミンの射程の広さを再確認。次回は、博多から広島へと場所を移して、研究会を行う予定の企画も持ち上がりました。

また近々、栗原康さんもお迎えして、『シュトルム・ウンド・ドランクッ』の上映会とトークイベントを行う予定です。また詳細が決まりましたら、こちらにアップできたらと思います。

九州アナキズム研究会、呉中国文芸研究会からも以下のイベントにチョッケツ。

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各 位

<言語の可能性を生涯にわたり問い続けたヴァルター・ベンヤミン。その思考は晩年、
歴史を語る言葉の探究として展開していった。言語哲学から歴史哲学へわたる歩みを
「他者に応答する言葉の可能性の解放」という一貫したモチーフで描いた刺激的な
ベンヤミン論を上梓されたばかりの柿木伸之氏をお迎えして合評会を開催します。
「翻訳」と「想起」から言語の可能性を切り開く、ベンヤミン思想の核心に迫ります。>

日  時:2014年10月11日(土)14:00~ ※終了後、懇親会を予定
会  場:西南学院大学 学術研究所 大会議室
対  象:教職員、学生、一般市民
     ※無料、事前申込不要
発  表:柿木伸之(広島市立大学国際学部准教授)
     (コメント)森田 團(西南学院大学国際文化学部准教授)ほか
テキスト:柿木伸之『ベンヤミンの言語哲学 ─ 翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社、2014年)
     森田 團『ベンヤミン―媒質の哲学』(水声社、2011年)

主  催:西南学院大学 学内GP「ことばの力養成講座」
問合せ:田村元彦(法)mtamura@seinan-gu.ac.jp

発表者:柿木伸之 (カキギ ノブユキ)
1970年鹿児島市生まれ。
上智大学文学部哲学科助手等を経て、広島市立大学国際学部准教授。専門領域は、
ヴァルター・ベンヤミンの思想を中心とする近・現代ドイツの哲学および美学。
広島市立大学国際学部では、「共生の哲学」をはじめとする思想関係の講義を担当。
ヒロシマ平和映画祭実行委員会委員、ひろしまオペラ・音楽推進委員会委員、シャリバリ
地下大学学生。

著書)
共生を哲学する―他者と共に生きるために』(ひろしま女性学研究所、2010年)
編著)
『アメリカ、オキナワ、ヒロシマ―新たな戦争を越えるために』(同上、2010年)
『広島の現在と〈抵抗としての文化〉―政治、芸術、大衆文化』(同上、2011年)
共訳)
クリストフ・メンケ『芸術の至高性―アドルノデリダによる美的経験』(御茶の水書房、2010年)
Th.W.アドルノ『自律への教育』(中央公論新社、2011年)